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読山原フィッシャー学術調査 2005

Yunzanbaru Fissures Research Project

2005年2月23日


パンフレット(PDF/472KB)

港川人について

 港川人(みなとがわじん)は、1970〜1971年に沖縄島南部の具志頭村(ぐしかみそん)港川の石灰岩(粟石)採石場で、地元の化石研究家大山盛保氏(OK運輸)によって発見されました。この場所は雄樋川(ゆうひがわ)の右岸にある石灰岩フィッシャー(裂け目)で、内部の 堆積物から多くの動物化石とともに9体分の化石人骨が出土しました。年代は、暦年代(注1)によれば、2万年前(注2)で、考古学的には後期旧石器時代、地質学的には後期更新世の末期、人類進化史では新人(ホモ・サピエンス)段階に入ります。港川人は、ヒト化石骨の標本としては、東アジアで最も良好な化石群で、特に1号人(男性)は全身骨格が揃った貴重な資料です。

 しかし残念なことに、港川フィッシャーからは彼らが使用した「石器」などの人工遺物が発見されませんでした。その後史跡整備を目標に、1998〜2001年具志頭村によって新たな発掘調査が行われましたが、旧石器や新たなヒト化石は出土しませんでした。ただ上層部で縄文時代の遺物(土器:写真)が単独出土し、この場所で先史人の生活活動があったことは確かめられました(港川遺跡として登録)。しかし沖縄県では、この港川フィッシャーを遺跡登録(注3)するまでには至っておりません。

読山原の採石場

 港川フィッシャーの対岸(雄樋川左岸)台地は玉城村(たまぐすくそん)に位置しますが、この地域も古くから石灰岩採石場が広がっていました。雄樋川と奥武島の間に位置する、大字志堅原(しけんばる)小字読山原(ゆんざんばる)は、緩やかに海に向かって傾斜する石灰岩台地です。現在は採石により広く開削され、石灰岩断面に多くのフィッシャーが観察されます。これらは港川フィッシャーと同様の環境下で形成されたと考えられるため、港川同様の「人類遺跡」が発見される可能性が大きいのです。さらに、まだ本格的な解明が行われていない「フィッシャー」の成因や形成過程、フィッシャー内層序の調査研究を進展させる、重要な資料が得られる事も期待されます。

読山原フィッシャー群の調査

 この度、地元の事業者武村 茂氏(武村石材建設)の要望と協力を得て、読山原におけるフィッシャー群の現地調査を行える事になりました。調査組織は、グループ・ニライカナイ、武村石材建設、パリノ・サーヴェイ調査研究部、武蔵考古学研究所、玉城村教育委員会、さらに地元沖縄県考古学関係者の参加・協力のもと、「読山原フィッシャー学術調査団(団長:小田静夫)」を結成して実施するものです。調査は2005年2月23日から約1週間を要し、第1次調査を行う予定です。

 調査の目標は、第一にフィッシャーの学術調査(注4)であり、主に地質学的な資料を記録する作業になります。第二に化石や人工遺物の確認ですが、当面は読山原フィッシャー群の科学的な資料化を目標にします。

 過去に、フィッシャー6付近で「磨製石斧」が発見されています。この資料は、現在の研究で縄文時代草創期(約1万年前)の可能性が推定されています。対岸の港川フィッシャーでも上層部から縄文時代の土器が出土していますから、この読山原フィッシャーでも同様の土器文化の発見が期待されます。



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