小田静夫
日本の旧石器時代の石器の一つに「斧形石器」がある。この石器の大半は刃部を研磨した磨製石器である。この石器器種は、1949年(昭和24)日本で初めて「旧石器文化」が確認された群馬県「岩宿遺跡」の第 I 文化層に2点発見されていた。当時、握槌(ハンドアックス)、楕円形石器などと呼ばれ、ヨーロッパの下部旧石器文化の「敲打器」の仲間と比較された。その後、栃木県磯山、長野県杉久保遺跡で見事な研磨痕が認められる同種石器が発見された。この「磨製品」資料をめぐって、日本の先史考古学者たちは、旧石器存否論争や無土器新石器・中石器説、さらに石器自身の磨製・磨耗論争を展開した。
1968〜70年頃から東京・武蔵野台地を中心に、旧石器時代遺跡の大規模発掘が頻発し、1973年(昭和48)栗原遺跡で刃部を研磨した立派な磨製の斧形石器が発掘された。出土層準は立川ローム第X層中であった。同じ頃、千葉・三里塚55地点遺跡でも同層準から磨製例が出土し注目された。この厚く堆積した関東ローム層準から、確かな年代的裏付けをもって発見された「磨製石器(斧)」の登場で、旧石器時代に磨製石器が存在する事実は疑う余地がなくなってしまったのである。
磨製石斧の製作に用いられる素材は、扁平な礫をそのまま利用する例もあるが、多くは自然面を大きく残した分厚い一次剥片を中心にしている。この剥片の周縁を打調し、楕円形、長楕円、短冊形に仕上げている。その後、刃部の一部を研磨するのであるが、研磨面積はそれほど大きくなく、自然面のカーヴが磨製面の役割りを示す例も多く認められる。約70パーセント以上は研磨されるが、30パーセント近くの打製品が存在している。大きさは長さ8〜10センチ、幅4〜6センチ、厚さ1.5〜2.5センチに集中する。石斧の形態から一見横斧(両刃)的着柄が想像されるが、刃部はやや片刃(縦斧)的様相を呈した例が多い。刃先は直線例に対して曲線例が半数以上もあり、単なる木材伐採や骨の打割用だけでなく、多目的機能(加工、細工、皮なめしなど)をもつ石器と考えられる。石材は砂岩、頁岩、蛇紋岩、安山岩、片岩など多様であるが、中部地方北部では縄文時代にも多用された蛇紋岩製磨製石斧が卓越している。
南関東地方の厚い火山灰起源の風成堆積層を有する旧石器遺跡の層位的知見によると、磨製石斧は姶良Tn火山灰(AT:約28,000〜25,000年前)降灰層(第VI層)以前で、立川ローム第XI・X層(約40,000〜30,000年前)中に集中して発見される。全国の遺跡から出土している同種磨製石斧も、姶良Tn火山灰層前後の地層や、C-14年代測定値で約40,000〜30,000年前の文化層に集中している。
斧形石器は現在北海道から九州、奄美大島まで約135カ所の遺跡で約400点出土している。そのほとんどは一遺跡1〜2点であるが、製作址でもない長野県日向林Bでは60点、同・貫ノ木遺跡では55点の大量出土が認められている。
日本の旧石器文化に発見される斧形石器の刃部磨製例は、名実共に「磨製石斧」と呼べる形態を示す器種である。世界の旧石器時代遺跡からの磨製石斧の発見例は少なく、オーストラリアにやや集中して発見されている例は非常に特殊なものである。楕円形の扁平自然礫をそのまま打調を行わないで、着柄部に溝が走り自然礫面と研磨痕は明瞭でない。年代は2万年代を最古に、かなり新しい時期にも存続している。
日本の旧石器文化の磨製石斧は、不思議なことに3〜4万年前に集中し、その後は草創期にならないと出現しない。つまり現在「世界最古」の磨製石斧であり、さらにこの磨製技術は日本で独自に発明された可能性もある。