ユーラシア大陸の東端に位置する日本列島には、 古期(前期)旧石器時代人の化石人骨はまだ発見されていない。
約5万年前頃スンダランドの海岸地域に、海洋適応戦略を成功させた新人段階の旧石器人が定着していた。かれらは東南アジア内陸部の熱帯雨林に展開した「礫器文化」に対峙するように、海岸や島嶼部を拠点に「不定形剥片石器文化」を発達させた。おそらく筏(竹か)などの渡航具を使用し、河川・海洋資源を主生業にした漁撈・採集民であった。彼らは、最寒冷期に向う気候変動の過程で生じたスンダランド地域の海進と海退の環境変動に促される形で、黒潮海域を活動の場として、外洋航行にも順応できる「海洋航海民」に成長していったと考えられる。
世界最古の海上航行:約5万年前頃東南アジアのスンダランドからオセアニアのサフルランドヘ移住した旧石器人集団が知られている。かれらは目視できる島々を伝って渡海・移住し、新天地を第二の故郷としてメラネシアの島々に拡散・定住し、今日まで生活している。
神津島産黒曜石の交易:約3万2千年前頃、東京・武蔵野台地の旧石器遺跡から、約180Km南の太平洋上に浮かぶ伊豆諸島・神津島産の黒曜石を使用した石器類が発見されている。本州島(伊豆半島)と神津島の間には海深200m、幅30Km以上の海が横たわっており、この島の黒曜石を入手するには渡航具(筏、丸木舟)を使用した海上航行が必要であった。
南方型旧石器文化:神津島の発見者は、黒潮海流を北上してきた新期(後期)旧石器時代人である。かれらは琉球列島を経由して、種子島や四国・本州島の太平洋岸地域を遊動拡散してきた新人集団と考えられる。種子島の立切、横峯B遺跡(約3万年前)、東京の西之台B、中山谷遺跡(約3万5千年前)で出土した礫器、大型幅広剥片石器、錐状石器、クサビ形石器、磨石、敲石などの「重量石器」を特徴としている。同様な旧石器群は、ベトナム、香港、台湾島などにも分布が認められている。
不定形剥片石器文化:黒潮海流を北上した旧石器文化の第二波が、奄美諸島の土浜ヤーヤ、天城遺跡(約2万5千〜2万年前)で確認された。磨製石斧片、チャート製の台形状石器、スクレイパーに特徴をもち、九州島から列島内部に展開される「ナイフ形石器」が伴出しない。そしてこの旧石器群は南方型旧石器文化と分布圏を同じくするが、トカラ海峡を越えて北側の列島内部には発見されていない。
沖縄の化石人類:琉球石灰岩地域である沖縄からは、更新世化石人骨が8カ所から確認されている(左図赤枠の遺跡)。主なものは沖縄本島の山下町第一洞人(約3万2千年前)、港川人(約1万8千年前)、宮古島のピンザアブ洞人(約2万6千年前)である。しかし残念なことに、沖縄の旧石器人骨発見地点からは、確かな「旧石器」の出土がない。しかし南方型旧石器文化、不定形剥片石器文化は、この沖縄に生活した新期旧石器時代人が使用した石器類と考えてよいであろう。